2014年10月20日月曜日

芸工展2014 キレイ←→キタナイの考現学(1)


「猛暑が続く近年、マメに水分補給をしなければならない“日本の夏”を過ごしている私たち。「マイボトルを持ち歩く」スタイルやリサイクル等のエコ感覚が根付いてきてはいるものの、欧米に比べて日本は自動販売機やコンビニエンスストアで手軽に飲料水が買える環境だといえます。また1995年の地下鉄サリン事件をきっかけに公共の場からゴミ箱が減ったことで、空き缶・ボトルの処分に困ることも多いのではないでしょうか。
 まちなかに捨てられた缶やペットボトルに、捨てた人の意思が表れていると以前から感じていました。平成15年、武蔵野美術大学のデザインリサーチという講義で出された「日本人の清潔・不潔観」というテーマに対して、この「缶・ペットボトルの捨て方」を当てはめることにしたのが、この気づきをカタチにする第一歩でした。
 当時のレポートでは、以下のようにまとめています。
「道の端に寄せて捨てたり、自動販売機の脇に置いたりと基本的にはジャマにならない場所を選ぶ傾向があった。しかし中には目立つように捨てるなどの“捨て方”にこだわりを感じるものもあった。“捨てる”というマナー違反をしているにもかかわらず、自分なりにルールを持って捨てているのではないかと思われた。その傾向を分類すると、以下の4つになった。
1.こっそり型…空き缶の存在を隠そうとする捨て型
2.便乗型…他のゴミと同化させて、罪悪感を軽減させようとする捨て型
3.飾り捨て型…ゴミをキレイに見せ、満足感を得ようとする捨て型
4.2と3の混合型…他人の捨てたゴミに便乗する形をとっているものの、そのゴミとの位置や見え方を意識して捨てたもの。」
 この頃は、捨て型そのものに興味があり、捨てた人個人のこだわりとしてそれを捉えていました。ペットボトルが空になった→ゴミ箱がない→ポイ捨てはイケナイこと→ちょっと工夫する…と、どちらかといえば、イケナイことをする言い訳として「飾り捨て」をすると考えていたのです。最近では、そこに垣間見えるのは本人も気づかない美意識だと思い始めています。
「ポイ捨て」とは違う、ヒトならではの行動…それは捨てる事に対する後ろめたさなのか、人類特有の美的感覚なのか?! まちなかで採集した缶やペットボトルの捨てられ方から人間にもともとある美意識について考えます。」

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